夜行特急「まりも」 8月末で廃止 思い出は続くよ どこまでも(2008/07/03 北海道新聞)
帰省、ハネムーン、宿代わり… いくつもの人生に朝運び
札幌と釧路を結ぶ夜行列車の特急「まりも」が、八月三十一日発を最後に運行を終える。発着がともに道内の夜行列車はこれで姿を消す。半世紀以上にわたり、道民や旅行客に親しまれた「まりも」。車体の揺れで朝の目覚めを迎えた人々の心には、今も忘れられない思いが詰まっている。
<なくなるなんて泣きたいです> 高橋徹さん
「なくなるなんて、泣きたいですよ」
釧路出身で、
東京で大学生活を送った
札幌市白石区の動物病院院長高橋徹さん(60)は、帰省のたびに「まりも」を利用した。
この春だった。臨時列車になったことを知らず「寝台を予約しようと駅に電話したら、『その日は走っていない』と言われて驚いた」。いつでも乗れる空気のような存在だった。臨時になって、今度は廃止とは−。
帰省は汽車と青函連絡船を乗り継ぎ、三日がかり。一夜を過ごす「まりも」は「いつも垂直な背もたれの自由席」だった。
社会人になると、寝台を使えるようになった。酒席を終えて利用することが多く、乗車してすぐに寝入った。目覚めると札幌や釧路。「まるで、瞬間移動装置だった」と懐かしむ。
昭和四十年代の釧路駅。高橋さんは、「まりも」で新婚
旅行に向かうカップルがにぎやかに見送られる風景に、何度も出くわした。
<愛称変わっても私には「まりも」> 花田孝麿さん
「あのころの釧路の流行でした」と釧路育ちの会社役員花田孝麿さん(61)=
豊平区=。花田さんも
結婚を祝ってもらった後、そのまま駅へ。ホームで同僚らに胴上げされた。
「最初で最後のA寝台。B寝台とはベッドの並びが違ってね。寝心地が良かった」と、つかの間のぜいたくを振り返る。
「まりも」は、「狩勝」「おおぞら」の名で呼ばれていた時期もある。旧国鉄やJR北海道が、同じ経路を走る急行や特急と愛称を統一したためだ。
花田さんが結婚したのは一九七〇年。当時は「狩勝」のはずだが、「『まりも』としか記憶にない」という。高橋さんも「駅で『まりも』と切符を求めると、駅員も『名前変わったんだけどね。はい、まりも一枚』と売ってくれた」と笑う。「まりも」はそんな存在だった。
「まりも」の歩み
1949年 函館−釧路間の準急列車として運転開始
1951年 「まりも」の愛称が付く
1965年 札幌−釧路間の急行列車に
1968年 愛称が「狩勝」に
1981年 根室線の富良野経由から石勝線経由となり、愛称が「まりも」に戻る
1993年 特急に格上げ。愛称が「おおぞら」に
2001年 再度愛称が「まりも」に戻る
2007年 週末中心に運行する臨時列車に
2008年 8月末で廃止
<旅行者同士の一体感があった> 川島信広さん
旅行客の味方でもあった。中学生のころから宿代わりに愛用したのは、東京の会社員川島信広さん(36)=後志管内余市町出身=。
道内の特急・急行自由席が乗り放題の「
北海道ワイド周遊券」を利用。札幌か釧路から「まりも」に乗り、上りと下りがすれ違うため停車する深夜の新得で列車を乗り換える。朝、始発駅に戻ると、一泊分の宿代が浮いた。
八〇年代後半、二十日間有効のワイド周遊券は東京から学割で二万七千二百円。一日当たりでは、千三百六十円と格安だった。
こんなこともあった。川島さんが新得駅で席を確保すると、後ろから「そこ、ぼくの席です」と、困惑した中学生の声。聞けば「
財布で席取りをしていた」と話すが、明らかに持ち去られたようだ。
「財布を置くなんて非常識ですが、かわいそうで車掌さんを呼んであげた。当時は、旅行者同士の一体感があったんです」
「まりも」を“通学の足”にしていた人もいた。高橋さんのおいで、東京で活躍する作曲家の木原健太郎さん(35)は釧路の高校時代、
指導者を求めて毎週末に札幌の音楽教室に通った。札幌で木原さんの面倒を見た高橋さんは「寝台がなかったら疲れて、
ピアノも続かなかったはず」と「まりも」に感謝する。
「今度、義理の兄と釧路でゴルフをするけど、最後に一回、乗ってみるか」。ふと、高橋さんがつぶやいた。
◇
別れ惜しみ十数年ぶり乗車 目立つ空席、現状目の当たり
厚内駅(十勝管内浦幌町)を過ぎると右手に広がる太平洋。「まりも」の車窓のハイライトだ
先月下旬の週末。別れを惜しみ、十数年ぶりに「まりも」車中の人となって、一夜を過ごした。
奮発して乗るつもりの寝台車はあいにく満席。結局、学生時代と変わらない自由席になった。
深夜のホームに入ってきたのは、五両編成の気動車。昼間の特急「スーパーおおぞら」と違い、旧型で塗装に光沢がない。乗車すると、空席だらけ。一人で四席を占めたが、昔は独占できなかったはずだ。
午後十一時八分、札幌発。南千歳を過ぎると、車内が暗くなりオレンジの補助照明がともる。エンジン音に交じり、寝息が聞こえてきた。体をずらすと傾けた背もたれが戻る古いリクライニングが気になるが、心地よい揺れの中、しばらくまどろんだ。
気がつけば、夜が明けていた。東の空が明るくなっていく様子をぼんやり見るうち、車窓に海が迫る。
釧路管内白糠町付近ではライバルの夜行バスと並走し、定刻の午前五時五十分、釧路に着いた。約七時間もの旅も、なんだかあっけなかった。
同じ車両からホームに降りた乗客は八人だった。廃止は惜しいが、実情は厳しい。「ごぶさたして申し訳なかった」と、思わず心でわびた。
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